世の中には何とかメゾットや〇〇教育といったいろんな教育法がたくさんありますよね。あなたはどんな教育が子どもに合っているのだろうかと悩んだことはありませんか?私も迷っている中で出会ったのが、偶然にも息子が入園した保育園が行っているモンテッソーリ教育というものでした。
日本では史上最年少でプロ棋士になった藤井聡太さんも受けていたということで話題になっていましたね。では一体モンテッソーリ教育とは何なのか、またこの教育に出会って何が変わっていったのかを紹介します。
モンテッソーリ教育って何?
モンテッソーリ教育とは、20世紀初めころイタリアで最初の女医学博士マリア・モンテッソーリによって考案された教育法です。
モンテッソーリがまだ医学生だったころ、ある時彼女に物乞いをしてきたお母さんの子どもが目に入りました。自分のお母さんが物乞いをしていて、今日食べるものがないにもかかわらず、そのこととは関係なしに子どもは一枚の紙切れを手で扱いながら深く集中していました。その時の子どもの表情はとても充実していたのです。その姿を見てモンテッソーリは「ハッ!」としました。
それからモンテッソーリは、この現象の原因や意味を、科学・生理学・医学・生物学などの知識を得ながら研究し教育方法に整えました。このモンテッソーリ教育で使われるのは、「教具」といわれる木製の玩具が特徴的です。
偶然にも長男が3歳から6歳までモンテッソーリ教育を行う韓国の保育園に通っていました。本当にすばらしい出会いでした。園の玄関入ると、いきなり「わたしがひとりでするのを手伝ってね」と大きくかかげられてました。
それまでは1週間何の習い事で埋めようかと悩んでいました。子どもにどんな才能があって何が向いているのか、とにかく習い事を色々やらせてみないと分からないなと思っていたためです。
ところが、その保育園の玄関の言葉を見て、大人は子どもがするのを手伝う役目だったのか!と、私が見る世界や考え方は逆転していたんだなと、思い知らされたのです。
それからは、私が思っていることを強制的に押し付けるのではなく、子どもたちが興味を持っているものに気づいて、ひとりでやろうとしていたら見守り、できなかったら子どもたちを助ける役目になろうと努力するようになっていきました。
モンテッソーリ教育の5つの分野
息子の通っていた保育園では、3歳から6歳までの子が通っていて、教室にある教具には5つの分野で分かれていました。
- 日常生活
教具が子どもが自分で扱えるくらいのサイズで作られていて、自分の身体を思い通りにコントロールする能力を身につけることが目的の分野。
例)はさみで切る、コップに水を注ぐ、ほうきではく、ボタンをかける、そうきんがけをする、紐を穴に通すなど。 - 感覚
感覚教具を使って視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚をさらに洗練させ、環境の中で得たいくつものを情報を整理し、知性や情緒を発達させることが目的の分野。
例)茶色の階段、ピンクタワー、円柱刺しなど。 - 数
数の概念を感覚的にわかるように、教具を使って「数量」で覚えていき、その数量の名前(数詞)とその数量の書き方(数字)を一致させることで数の概念を理解し、さらに暗算へとステップアップしていく分野。
例)算数棒、金ビーズ、100並べなど。 - 言語
子どもの発達に合わせたステップを踏みながら語彙を増やすことから文法まで言語発達を促す分野。
例)砂文字、文字と絵が描かれたカード、単語並べなど。 - 文化
数と言葉以外の歴史、地理、生物、科学、音楽などの幅広い分野を身近なものや実体験を通して学ぶ分野。
例)世界地図パズル、時計など
以上の5つの分野に分かれた教具を、「自己選択」の時間に選んで学習します。
教具で学習することを韓国の保育園では「作業」と言っていましたが、日本のモンテッソーリ教育では「お仕事」と呼んでいます。また「お仕事」をする時は、必ず専用のマットを床に敷いて、その上に教具を持ってきて学習するようにしていました。
保育園の様子
保育園の教室に入ると、保育園で使う全てのものが、子どもたちが自分で扱えるサイズで、子どもが届く位置に置いてありました。
保育園に行くと、「自己選択」という時間が1時間半くらいあり、その時間は子どもが自分で選んだ教具を自分のマットの上に持ってきて好きなだけ「お仕事」を行います。終わったら自分で元に戻します。先生がベルを鳴らしたら終わりです。
「自己選択」の時間、先生は子どもたちに何かを教えるというのではなく、先生は子どもたちを見守り、子どもたちが手伝ってほしいと言ったらお手伝いをするという様子でした。
初めての教具を使う時は、先生がまず教具の名前と注意点だけを聞かせます。それから先生が教具のお手本を何も喋らずにゆっくりと見せてくれます。その後に子どもたちが真似ます。なぜこのようにするのかというと、保育園の年齢の子どもたちは、「見る」と「聞く」が同時にまだできないので、先生はゆっくりと動きだけを見せるのです。
モンテッソーリ教育ではクラスを年齢で分けるのではなく、年齢の違う子どもたちが一緒に過ごす縦割りクラスであると紹介されることが多いですが、息子が通っていた保育園では、年齢ごとに分かれていました。しかし、自由時間や延長保育の時間は、年齢の違う子が一つの教室で一緒に過ごしていました。
異なる年齢の子と一緒に過ごす時間があったためか、息子は年下の子の面倒見が良くなりました。また、保育園に入園する前は年上の子が目の前に現れるだけで泣いていたのに、保育園に行ってからは自分から「お兄ちゃん~一緒に遊ぼ~」と話しかけるようになっていました。
保育園の子どもたちは好きなことを自分で選び、納得の行くまで行うことができるので、とても充実していて生き生きとしていました。
モンテッソーリ式のお誕生日会
息子の保育園では、いろんな行事がありました。セントパトリックデー、イースター、秋夕、ハロウィン、クリスマス、旧正月、運動会や芋掘り、遠足などもありました。
バラエティーに富んだ行事ですが、1日がかりの大きなものはなく、ほとんど1時間以内で簡単に行う控えめなものでした。その理由は、子どもにとってはあくまでも日常の生活がメインであるいうモンテッソーリの考えからです。
行事の中でも最もモンテッソーリらしいなと感じたのがお誕生日のお祝いです。1人1人お祝いしてもらいますが、その方法がとても特徴的なのです。
この写真は息子が6歳の時のお誕生日の写真です。最初見た時は何の儀式か?と思いましたが、こんな意味があるんです。
- 真ん中のろうそく:太陽
- 手に抱えているもの:地球
- ろうそくの周りのカード:12か月のカードが並んでいる(花の絵はその月に咲く花が描かれている)
- 地球が太陽の周りを1周回ったら1年=1歳年を取ることを表している
- クラスのみんなが集まって座る
- お誕生日の子は生まれた月の前に地球ボールをもって立つ
- 歳の数だけ回る
例)2月生まれ:2月から回りだして2月に戻ってきたら1周
1周回ったら1歳→「1歳の時何した?何ができた?」
このような質問を先生が1周ごとに聞いてくるので答える - 自分の歳の数だけ回ったら、ろうそくの火を消す
- みんなでお誕生日の歌を歌う
お誕生日を通して自然の秩序をさりげなく学んでいたのです。とっても素敵だなと私は思いました。
韓国では、普通保育園などのお誕生日会は、1人1人行わず月ごとにまとめて1回行います。そして、テーブルにはお菓子やケーキ、果物、お祝い用のお餅、フライドチキンなどの食べ物が大量に用意され、とても豪華に行うと友人から聞いたり、写真で見たりしました。
それに比べると、質素ではありますが、たとえ韓国でそのような文化があっても、ちゃんとモンテッソーリの考えに基づいたお誕生日会をしてくれていたんだなと、他の保育園に行っている子の話を聞いてから気づきました。
保育園で私が学んだこと
親が保育園を参観できるのは1年に2回ほどしかありませんでしたが、毎日子どもが通う中で、子どもに対する接し方や親がするべきことを学びました。それは以下のようなことです。
- 子どもに何かを教えるときは、しゃべらずゆっくりと見せる
→「見る」と「聞く」がまだ同時にできないので、動きだけをゆっくりと見せると、子どもが分かりやすく、その動きを真似しやすい - 必要なもの以外ない整理整頓された部屋を維持すること
→子どもが自分で部屋が汚れていたり乱れていたら気づくように、物は少なく見た目は明るくきれいなものにすると良い - 子どもが過ごしやすいサイズのものと配置で、子どもが快適な環境を作ること
→自発的に子どもが動けるように、体に合ったサイズの棚やおもちゃを用意すると集中して作業しやすい - 「敏感期」という特別な時期があるということ
→子どもにはあることに対して特別に情熱を燃やして関わる短い限られた時期があるので、それに大人が気づき対応するようにする - 「自主性」をもって子どもたちが身の回りのことをできるように、大人は子どものやりたいことをできるようにするお手伝いをすること
→大人は子どもが何をしたいのかを汲み取り、それを助ける役目に徹すること
普段街を歩いていると、子どもが何かができなかったり何かをやりたがっていても、大人が待てずにやってしまうという場面を今までたくさん見てきました。
保育園に出会う前は、私も子どもが遅かったりできなかったら私がやってしまっていたため、子どもの挑戦や気持ちを考えずに成長する機会を奪っていたのだなと思いました。しかしそのことに気づくことができ親子関係が変わっていきました。では一体どう変わっていったのでしょうか。
子育てに対する考えが変わった
いざ子どもが産まれると、授乳や家事に追われ毎日を回すだけでも一苦労です。私は子どもに色々な経験をさせてあげたいと願いながらも何をしたらいいのか分からず、これでいいのかな?と迷いながら時間が過ぎていくようでした。
そんな矢先にこの教育に出会い、子どもとの接し方がまず変わりました。自分の考えを強制するのではなく、一歩引いて観察するようになりました。
客観的に見ることによって、一方的に「なんでこんなことをするの?」と怒ることがなくなりました。むしろ、「今何をかんがえてるんだろう?何を見てるんだろう?」とこっちが興味津々になって見ています。
私には息子と娘がいるのですが、娘が3歳になったばかりの頃、余ったシールの枠を細かくちぎって、なんと部屋の床に一所懸命貼っていたのです。しかもしっかり貼るのではなく、半分側だけ浮いている状態で全部貼っているではありませんか。
それまでの私なら、すぐに「何してるの?」と問い詰めたり怒ったりして、片付けるように言っていたかもしれません。でもその時は一体何をしているの?という興味が大きく、終わるまで待っていました。できた!といったので見てみると、娘はすごく満足そうでどや顔をしています。
それは、全体的に見ると木のような形になっていて、シールが半分側だけ床に貼ってあるので立体的できれいでした。思わず「すごくきれいだね!」と何を作っていたのかは不明でしたが喜びました。その後本人は大満足をしていたので、快く一緒に片付けをしてくれました。
あと、息子が6歳の時に、保育園で折り紙のシュリケンを習ってきました。最初は角が合っていなくて折り目もしっかり折られていませんでした。
その時、ゆっくり見せたらもっとうまく折れるのではないかと考え、私が丁寧に折ればこんなにかっこよくできるんだよと見せました。すると、目つきが変わり、それから毎日何枚も折り紙を折って、大きいジッパー袋が5つシュリケンでいっぱいになっていました。8歳になった今では折り紙で様々なものを折れるようになり特技になりました。
なんでそうしているのかがわかった時、こんなことに興味があって、そこを見ていたのか!と驚くことが多々あります。それは本当に笑ってしまうことがたくさんあって、子どもってすごいなと感心してしまいます。
子どもに対するかかわり方の変化
今まで大人から見て、ありえないことをしていると思ったときは理由も聞かずに怒っていましたが、一歩引いて怒らずに見てみると、自分が間違っていたということに気づくことがたくさんありました。なので、問いかけや接し方が変わりました。
- 「早く!」から「準備はできたかな?」「今何してるの?」に変化
→もしかしたら、今何かに集中している最中かもしれないと思うようになったため - 「何やってんの!」と頭ごなしに怒らなくなった
→何をしていたのか理由を聞いて話してみようと思うようになったため - ボーっと何かを見ている時、待って観察するか何に興味を持ったのか聞く
→子どもが好奇心を持って何かを見て学ぼうとしているんだと思うようになったため - 親が見て何しているのかわからないことをしていたらとりあえず観察する
→子どもなりの考えがあってそれを満たそうとしているのだと考えるようになったため - 何でそうしたのか理由を聞いてから話す
→子どものことを理解して共感したいと思うようになったため - 「子ども」としてではなく「1人の人」として見るようになった
→見る目線が子どもと同じになり、子どもはまた自分とは違う人間だと思うようになったため
子どもを子どもとして扱っていると、大人目線でからしか子どもを見ることができないのではないかと思います。その結果、子どもが何かを自分で発見したり、何かの能力を身につける機会を失ってしまうかもしれません。
だから、子どもも1人の「人」として接することで、その子のこと認めてあげます。そうすれば、子どもは自信を持ち、親は安心して見守ることができます。そのように考えるようになったことで、今まであった「何でこうするのか?」「どうしてそうするのか?」というイライラの感情が無くなっていきました。
常に子ども目線で環境を整える
例えば休日に家族で出かける時、大人が行きたいところに行くのではなく、子どもが何をしたいか聞いて決めるようにしています。もし、絵の具を使って大きな紙に描きたい!となったら、出かけずに家で思いっきりできるように道具を準備します。
ある日絵本をなんでか見てくれない時がありました。よく見てみると、本が出し入れしづらいことに気づき、絵本の位置を棚の1番下にし、出し入れしやすいようブックエンドを多めにしました。すると毎日絵本を見るようになりました。
また、おもちゃの片付けがなかなかできないなと思った時は、1つのかごに1種類のおもちゃを収納し、子どもと一緒に定位置を決めました。すると楽しんで戻すようになりました。子どもが自分でできるようにするってことが、大人も楽だってことがわかりました。
何かやりたがっていることを見つけたり、子どもがもっとこうだったらいいのにと言う願いや日常での挑戦をサポートしていくことで、子どもが自主性を持って動くようになります。
できることや挑戦したいことが成長とともに変わっていくので、常にそれに対応して環境を作ってあげなければなと思います。
家で行った環境対策
モンテッソーリ教育を家で取り入れるために必要なことは、子どもが自分のことを自分でできるような環境を作ることです。保育園で使っているような教具を使わなくても、日常のことや子どもがやりたがっていることをできるように手伝ってあげることが重要です。
- 子どもが使うものはすべて届く位置に配置または届くように踏み台を置くなどして工夫する
- おもちゃや服は、種類を少なくし、自分で選び、出し入れできるように収納
- 自分でできることは何でもやらせる(親は手を出さず見守る)
- 子どもの不便を常に観察して、子どもが自分でできるように改善する
- 子どもが見ているものについて気付く、それについて話す
- 難しいことでもやりたいことをできる限りやらせる
- できないときはそのやり方を教える
子どもたちが自分でやりたくなるような環境を作ると、子どもたちはいてもたってもいられず自分でやりだします。またできないことについては、大人がやってあげるのではなく、その方法を教えるようにしています。
例えば、公園で大きな網目を渡って上にある器具に登りたいとき、ここに足を置いてここに手を置いて、ひとつひとつ進んでいくという方法を説明したり、大きい子が隣でしていたら、観察して真似するように言っています。
とにかく子どもを待つ
ちょうど3歳の娘が自分でやりたい!時期です。靴を履く時、頭や体を洗う時、服を着る時など私は近寄れません。少しでも手を貸すと怒りますから。こっちはとってももどかしいですが、そこをぐっと我慢して待っています。
自分でできた時の充実感と達成感にあふれた表情を見ると、ぐっとこらえて待っていてよかったな〜と思います。今まさに身の回りのことをやりたい敏感期です。このこだわりは今のものが達成され、その能力が獲得できたら、また次の新しいことへと変わっていきます。
時たま子どもたちが家で、急に静かに何かを集中してやっている時があります。そんな時は、話しかけず邪魔をせず最後まで終わるのを見守っています。そんな時に子どもたちを放ってあげられるように気をつけています。
子どもを待つべき場面
日常生活の中で子どもを待つべき場面は以下のような時です。
- 急に静かになって何かに集中している時
- 何かに興味を持って見ている時
- 少し難しいことにチャレンジしている時
- ひとりでやりたいと言った時
- ひとりでやろうとしている時
このような場面では、おそらく目的や欲求を満たそうと集中している時です。このような時に最後まで邪魔されずに達成できたら、その能力がどんどん身についていき、自立できるようになっていくでしょう。
私が子どもたちと関わっていく中でとても参考になった本があります。それは『お母さんの「敏感期」』という本です。現在もそうですが、子育て中はいつも子どもの成長やなんで?っていうことがあり、お母さんは子どものことに集中したり発見したりしますよね。そんなお母さんも立派な敏感期であるということを知っただけでも、子育てに対する気持ちがすごく楽になりました。
今回のまとめ
一歩離れて子どものことを理解し、その成長時期にあった対応ができたら、お互い楽しく過ごすことができるでしょう。そして子どもにはある特定の時期にしか現れない敏感期があるということ。このことを幼児期に知ったことで、どれだけ気が楽になり、子育てを楽しめるようになったのかわかりません。
親が子どもに何かをしてあげるのではなく、子どもが自ら能力を獲得していけるよう手伝ってあげる、そんな関わりをするだけでいいと思います。さすがに家でモンテッソーリの教具をそろえてはできませんが、このように日常生活の中でもできることはたくさんあります。
そんなこんなで1番モンテッソーリ教育にお世話になったのは母親の私でした。そしてこれからもモンテッソーリの観点を持ち楽しみながら、子どもたちと接していきたです。
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